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趣味:ゲームって言いたい!

ゲームばかりしている日々の記録。主にプレイした作品の紹介、感想を書いてます!

身近な人が亡くなること

ほとんど日記のような内容です。
少し吐き出させてください。


28日深夜、祖父が亡くなりました。

最後に会ったのは、25日。
3日前に会えて良かったという気持ちと、最後にもっと話せば良かった、触れてあげれば良かったと後悔も沢山あります


思い返すと、ここ数年、毎年こういうことが起こってしまっています。

一昨年は母方の祖父
昨年は母方の祖母
今年は犬と、父方の祖父。

一年経ち、悲しみが癒えてきた頃にまた・・・
これまで長生きしてくれていたからとはいえ、ここまで相次ぐと辛いものがあります。
20数年、幸いにも殆ど近親者の死を経験せず生きてきていたので、耐性が無かったせいかもしれません。


とりわけ、母方の祖母は私にとって大事な人でした。
近距離に住んでいて、初孫だったからか幼少の頃から特別に愛してもらう一方で、反抗期には憎いと思うことさえあって、避けたりもした。
後から思うと、愛情と期待に応えられない自分の不甲斐なさから逃げていただけで、祖母は何も悪くなかった。

そんな時期を経て、再び触れ合うようになった頃には祖母は少しぼけ始めていた。
週2回の人工透析は欠かせないし、一緒に旅行に行くこともできなかった。いつか、祖母の故郷の喜界島に一緒に行きたいと話していたのに。

亡くなる数ヶ月前から入院していたが、母方の親戚とのゴタゴタでしばらく入院先の病院が分からないという状態が続いた。

1ヶ月前、ようやく会えたときには、意識が混濁して時々目覚めた時に会話(出来ていたかは分からない)する位しかなかった。

1ヶ月間、毎日病院に通った。体調の波で、時々、きちんと反応してくれてる、会話出来てる、と思える状態の時があったので、それを逃したくなかった。
ある時には、話しかけていたら、握っていた手を信じられないほど強い力でギューーッと握り返してくれた。頑張って、強く生きなさいという最後のメッセージだったんだと思っている。


最期は、お医者さんから今夜が山場だと言われて徹夜で付き添いをした日の明け方だった。呼吸が浅く途切れがちになり、止まり、握った手が徐々に冷たくなって、死を実感した。


病院から葬儀場まで霊柩車に同乗する役をして、車窓から差す朝日が、祖母の棺を照らしていたことをよく憶えている。


葬儀まで4日ほど、殆ど寝ずに付き添った。
生前祖母が、私が幼少の頃に描いた女の子の絵を見つけて、「これをモデルにしたお人形を作って」と言っていたことを思い出し、フェルトを切って貼り合わせただけの簡単なものだけど作った。絵とともに棺桶に入れた。

最後に出来る限りのことをして、せめてもの無念を晴らしたつもりになった。看取ることもできたけど、結局はきちんと話せる状態の頃に会わなかったことを激しく後悔した。


その時すでに父方の祖父にはガンが見つかっていたので、これまでより多く連絡を取るようにしたり、中距離だけど訪問する機会も多くしていた。

父方の祖父はガンだったけど、高齢であることが逆に進行を遅らせるようで、体調の悪化は比較的緩やかだった。
高齢者ドライバー、と非難されてしまうかもしれないが、半年前まで車を運転して(もちろん無事故)自力で病院へ通っていたから、まだまだ大丈夫だと周りも思っていたと思う。1年半ほど前までは旅行にも出かけていたし。


しかし、半年ほど前に一時入院したのをキッカケに、自宅療養に切り替えた。
恐らく手術や治療の方が身体に負担になるため、入院していてもすることがないから。
祖母と二人暮らしだったけど、祖母の方はまだまだ元気なので、親戚一同やケアマネさんが支援する中、私も月に一度は顔を出していた。


10月、犬の死は突然だった。
亡くなったのは17歳のチワワ。老齢でよく寝るようにはなっていたけど、病気などせず、ご飯と散歩が大好きな元気な子でした。

それなのに亡くなってしまった原因、グロ注意なのですが・・・

多頭飼いをしていて、他の犬が飛びかかった時、何かの弾みで眼球が傷つき脱落してしまう事故が起きました。すぐに動物病院で処置を受けましたが、眼は切除、老齢のため手術の負担に耐えられるかわからない・・・とのことでした。

電話で話を聞いて、事故を起こすような状況(多頭飼い)にしてしまった飼い主としての責任、凄惨な状況を目の当たりにした家族のショックに自分自身も胸が詰まる思いでした。
だけど、一番辛いのは、訳もわからず痛い思いをしているその子なんだと。


術後翌日、家族が病院へ見舞いに行った時には立ち上がり(それまで寝たまま動かなかったため獣医さんも驚いたそう)、回復するかと思われたのですが、そのまま目を覚ますことはありませんでした。

私は実家を離れているため、事故から翌々日に帰省。その日は夜通し看病しました(犬は寝たきり意識不明になると瞼が開いてしまうので、残った眼が乾燥で失明しないよう目薬を差し続ける必要があった)

全身に力なく、脱落した眼のあとの縫合も痛々しく、残った眼も焦点の合わないままで、前足が痙攣し続けていて、正直、そんな姿を見て怖かった。見てもまだ信じたくない気持ちがすごく強かった。

ただ一晩中ついていて、反射なのかもしれないけど、音や光に反応しているように思われることもあったから、回復の希望を感じていました。

朝には手術以来の便が出て(思い返せばタール便なんだけど)、その時ウゥッと少し唸ったので、もしかして、とも思いました。

でもその日の午後、病院で点滴している間に、獣医さんに看取られて亡くなりました。


事故が起きてから帰省して、寝たきりの状態では全ての刺激が悪影響だからと、撫でることも、声をかけることも禁止されていたので、亡骸となってから沢山撫でてあげました。

その日の夜は通夜ではないけれど、一晩中付き添いました。翌日には火葬したけど、病気でなかったからかお骨がよく残っていた。頭蓋はそのままだし、牙や爪や、尻尾の先の小骨まで。こんなことがなければ元気だったんだなと、悔しく思った。

ギリギリのところで踏ん張って、最後に一晩看病させてくれて、嬉しかったけど悲しかった。
そろそろ寿命を意識はしていたけど、突然のことだったのと、亡くなった原因が原因なので、心に穴が空いたようになり、ブログの更新も出来ない時期がありました。

母方の祖母は身近な存在とはいえ近距離別居だったけど、犬は小学生の頃から、自分が実家を出るまでずっと一緒に暮らした家族だったので、ペットとはいえ別の悲しみがあったように思います。


父方の祖父の話に戻ると、
毎月訪問する中で、なるべく色んな話をするようにしていました。
祖父母の馴れ初め、いま住んでいる地域の昔の情景、戦争末期の記憶。
進駐軍関係の会社の社内恋愛だったことや、
今住んでいる土地を購入する時、祖父が地域住民を取りまとめて地主さんに談判した話・・・
退職後、社交ダンスを習っていた時期があったことは初耳だった。どちらかというと厳しい人だったので意外。


数ヶ月前から、だんだんと、出来ることが少なくなってきていました。
2階の寝室へ上ることが難しくなり、介護ベッドをレンタルして1階で寝るようになった。
それでも食卓へは出てきて一緒に食事していたが、それも歩行介添えが必要になり、ついには難しくなった。
お手洗いだけは自力で歩いて頑張っていたけど、半月前からはそれもダメになった。

ご飯も、ここ最近は水分しか受け付けなくなっていたから、長くはないだろうと察せられた。

それでも25日、私が柔らかく茹でたサツマイモの甘煮を、一口だけでも食べてくれたのは良かった。

25日から数日前には、介護ケアの人からか、「おわかれのじゅんび」というプリントが祖母に手渡されていたので、そろそろだろうとは思っていた。


・・・こうやって書き上げてみると、母方の祖母や犬との後悔ある別れと比べて、今回はある程度の準備と心がまえができていたのかもしれない。と、書き並べて心が整理できたような気がします。

まだ亡骸と対面していないので、はっきりとした気持ちは言えませんが。


・・・今更ですが、こんな時期にこんな暗い内容の文章を出してしまい申し訳なく思ってます。
ただせっかく書いたことですし、自分にとっては大切なことなので公開しようと思いました。


後日、通夜葬儀を執り行うので年末年始にかけては忙しく、ブログ更新も難しいかと思います。
年越しで気持ちを改めて、またゲームしたりって日常に戻りたいですね。


よいお年を。